今、平成から令和へと時代が変わりつつあります。時代が変わっても変わらないものがあります。それは、幸せの定義です。
幸せは、金銭、名誉、権力、地位があれば満たされるものではないと思っています。
地財をもって幸せとすると、限界がありません。上には、いくらでも上がいる、ある、もので、限界値がなくなってしまいます。地財欲の充実をもって幸せとするならば、ストレスばかりを貯め、決してハッピー人生にはならないでしょう。
幸せの定義は、アドラーの提唱する幸せの3要素に結実するものと思っています。
アドラーの提唱する幸せの3要素
1)自分自身が好き(承認できる)であること
2)他者が好き(承認できる)であること
3)人や社会に貢献できること
地財欲だけで大成し、幸せな人生だったと共感できる人物は歴史上にもいません。マザー・テレサやマハトマガンジー、ネルソン・マンデラらが不遇な時もありながら、幸せな人生と思えるのは、幸せの3要素を徹底的に追求した人生だったからだと、私は思っています。
ドナルド・トランプ大統領も、これらを求めていると思っています。ビル・ゲイツやウオーレン・バフェットもこの3つを求めているに違いありません。
1)自分自身が好き(承認できる)であること
これは、最も基本的かつ重要事項だと再考しています。自分が嫌い、自暴自棄に至れば、“次”のステップがまるで出てきません。どういう立場であっても、どういう肩書や、立場であっても、容姿の整容や性格の多様性があっても、自分を好きになる必要があると思います。
自分を好きになる、認める、承認することが、幸せの第1歩であり、生きる道しるべであり、わが身の存在価値です。
人は、なにがしらの向き不向きがあり、得手不得手があり、したがって、人に負けない何かがあります。ここを、掘り下げて、「ああ、自分にもこんなメリット、得意技があるんだ」と認識でき、意識できれば締めたものです。
2)他者が好き(承認できる)であること
他者は、時に、気があったり、不都合になったり、時に全く気が合わなかったり、心身同一のように気があったりと、摩訶不思議な存在です。夫婦でもそうですし、親子、子息、兄弟姉妹でもそうです。
人とのコミュニケーションは、他者承認から始まります。好き嫌いで画一的に線引きするのではなく、好きと感じるのであれば、そのままに、一方、嫌いと思っても、客観的に分析することで、一光を見出し、ここが他者の自分にはない良いところと発見できれば、承認することは困難なことでは決してありません。
今まで半世紀余り生きてきて、他者承認が、いつもの課題でした。他者承認ができることで、人とのコミュニケーション、人脈が一気に広がることも潜在的には分かっているつもりです。でも、これは人生一生の勉学学習であり、人生を充実させ、幸福を呼び寄せる最難関のスキルと未だ認識しています。
3)人や社会に貢献できること
Contribution(貢献)。この言葉は、何よりまさる、社会において生きるに値する存在価値を表現する単語です。
何でも良いと思います。人や社会に少なくとも迷惑をかけず、自分の出来ること、得意技、メリットでもって、結果的に誰かに、あるいは社会にcontributeする、これが人生の醍醐味であり生きる指標であり、醍醐味だと確信しています。
私は職業上、いろいろな方の、貢献度を毎日見ています。病院は、医師以外にも、薬剤師、看護師、看護助手、検査技師、放射線科技師、事務方、受付、クラーク、出入りの製薬会社の方、医療器材、管理栄養士、心理士、厨房の方、清掃業者、etc.毎日、人それぞれの人や社会に対する貢献度を目の当たりにしています。
言葉や行動の一コマで、contributionに関する意識が、ひしひしとかつ強いメッセージとして、伝わってきます。
お金の対価としてのみの労働では、言動から、概ね伝わってきます。一方、なにがしらの強みなり、ポリシーをもって、人(患者さん)や社会(地方の医療行政)に対して、contributeしたい時の姿勢は、敬愛をもって眺めています。
自分を承認し、他者を承認し、オンリーワンの自分をもって、人と社会に貢献できる、どう考えても、死ぬまでこれを全う出来れば、「ハッピーライフ」と断言できる、と、平成から令和をまたぐこのひと時に、思った次第でした。